2020年08月29日

野鳥会のウルトラマン「ヤマセミさん」^^

久しぶりに川伝いを散策したら
ヤマセミさんが現れた!

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ヤマセミ(山翡翠、山魚狗、学名:Megaceryle lugubris)は、
ブッポウソウ目カワセミ科に分類される鳥類の1種である。
山地の渓流に生息するカワセミの仲間である。
         と、ウィキペディアで教えてくれている。



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下の画像、カワセミさんは、
カメラとかレンズの雑誌なんかでよく使われるのでお馴染みかと思うが・・・
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ヤマセミさんは、地味な色合いのためかあまりメジャーな存在ではない。





大きさは体長約38p、翼開長は約67p。
カワセミさんの倍、ハトさんくらいの大きさである。

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私が初めてヤマセミさんと遭遇した時の第一印象・・・
「あ! ウルトラマンだ!」と即、思った^^


今回、私の目の前で遊んでくれて
撮影に付き合ってくれたので、紹介させて頂こう^^









ホバリングからの・・・
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「すー」
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「はー」
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「いた!!」
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小魚をゲット!!
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ブン! ブン!
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「えい! やー!」
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「とりゃぁー!」
ごっくん^^
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飛び込みの瞬間は、写せなかった(^_^;)















キセキレイさん:「ヤマちゃん、あそぼー
なに観てるの?^^」
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ヤマちゃん:「・・・」



キセキレイさん:「ねえ、ヤマちゃん・・・」



ヤマちゃん:「ちょっと待って、今、集中して魚を探してるんだから」
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キセキレイさん:「ふーん、私には何も観えないよ〜、
          ヤマちゃんは目がいいんだねー^^」




ヤマちゃん:「あっ! 見つけた!」
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ヤマちゃん:「しゅわっち!」
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キセキレイさん:「ふん、ヤマちゃんの いけず〜
もう、遊んでやらないんだから・・・」
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どういった関係なのか、私には分からない
          by. よんだー

ヤマちゃん:「あ? なんだって?」
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よんだー:「いえ、なんでもないです(^_^;)」
















「何か、食べ物はないかな・・・」
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この辺はどうかな?・・・
          はっ!」  
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「ふっ!」
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「ほっ!」
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「うーん」
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「あっ!」
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「ロックオン!」
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「しゅわっち!」
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ゲットだぜ^^
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ブンブン!
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えい!
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ごっくん!
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ひゅーん!
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ビューン!
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ポーズ^^
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またね^^
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あっ!
擬態語だらけになってしまった・・・失礼しました m(_ _)m




お・わ・り・・・^^










posted by スティーヴィー・よんだー at 23:40| 北海道 ☔| Comment(13) | 野鳥ウオッチング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月06日

「北海道3大かわいい動物」プロジェクト^^

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「北海道3大かわいい動物」プロジェクト っていうのが始まった

それは何ぞや? ということで

HBC北海道放送の案内番組をご覧あれ^^


クリック ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
「北海道3大かわいい動物」プロジェクト




北海道にしかいない「かわいい」動物たちが、
たくさんいることをより多くの方に知っていただくことで、
その動物たちが暮らす環境などに思いをはせていただいたり、
地球温暖化といった大きな問題をより身近に感じて頂くことを目的として、
Instagram、Facebook、Twitterで紹介しようというもの。




Instagramはこちらから→@北海道3大かわいいプロジェクト
        または→「北海道3大かわいい動物」プロジェクト

Facebookはこちらから→北海道3大かわいい動物

Twitterはこちらから→北海道3大かわいい動物プロジェクト




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私もよく撮影しているエゾリスさんやキタキツネさん他、
北海道の可愛い動物画像がたくさん紹介されている。
幼体の画像も結構あるので、
動物好きな方は、よかったら登録して画像から癒されて頂きたい^^




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久しぶりにエゾリスさんと遭遇(2020年5月撮影)







posted by スティーヴィー・よんだー at 21:07| 北海道 ☔| Comment(14) | 動物ウオッチング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月01日

母の軌跡

母は大正14年、5男2女の長女として北海道小樽市で産まれ、
小学校高学年の時期、父親の転勤に伴い室蘭市に移転して来た。

小さいころから弓道に興味があったようで、
近くの弓道場に通っては、見学を続けていたそうだ。

高等女学校に入学し、弓道を始めた母は、
実力が開花したようで・・・
卒業の頃には、同級生の指導をするようになった。
また、卒業後は同学校で臨時指導教員として、
約8年間、弓道の指導の職に就いた。
その間、戦時中は弓道ではなく、長刀(なぎなた)の
指導にあたったと聞いている。

その後、室蘭市内在住の父と縁があって結婚。
第1子である長男(私の兄)は2歳の時に病気で亡くなった。

晩年、母が兄の話題になると「頭のいい子だった」と
度々口にしていたのが印象に残っている。

兄が他界した数年後、
3人の姉が産まれ、末姉の7年後に私が産まれた。
だから、姉たちも私も、兄の顔は写真でしか観た事が無い。

姉たちと年齢が離れていることもあり、
私は常々「母親が4人居たようなものだ」と言われたものだ。




幼い我が子に先立たれ、母が50歳の頃には
2年続いてふたりの弟が先立った。
ふたりとも40歳台、妻子を遺しての先立ちだった。
そんなこともあったためか、母は精神的に不安定な時期が多かった。

私が幼いころ、母は私に泣いているところを見せたくなかったのだろう。
掃除機やテレビの音で、泣き声をかき消そうとしていた母。
でも、そんな母の泣き声は、隣りの部屋に居た私の耳に響いていた。
思い出すたび、胸が詰まる思いになる。



やがて姉たちが結婚、孫が産まれた。
その頃から、母の精神状態が落ち着いてきたように思う。

平成22年、父が他界。(父に関する日記はこちら)
http://kenkenstievie.seesaa.net/article/167468517.html?1596261478


父が他界して2年後、母は痴呆症のため
室蘭市内のグループホームに入居した。

ホームでの約8年間、母は穏やかな日々を過ごせたと思う。
正月やお盆などは、我家に連れて来て
姉たち家族らも集まり、食事会をしたりした。

私は、この食事会も、
今年(令和2年)の正月には「今回が限界(最後)かな?」と感じていた。
母は身体の衰えが著しく、精神的障害も発生していた。
情緒不安定な母は、もう私たちに家族には、
たった数時間でさえ手に負えない状況になってきていたのだ。

グループホームの規約から外れてしまった母は、
ホームの責任者と相談の結果、
系列の病院に入院することとなり、5月1日に入院した。
そう、終末期の患者をケアする病院だ。

様々な検査を受け
ラクナ梗塞、パーキンソン症、腎梗塞、動脈硬化その他
たくさんの病名を付けられた。
「脳の障害が原因で幻覚や幻聴で苦しんでいるようだ」と医者に言われた。
また、「心臓が弱っているので、いつ止まってもおかしくない状況だ」とも…。

私:「あとどれくらい生きられますか?」
医者:「うーん、3か月くらい持てばいいかな…」

安定剤など、精神科の薬は副作用が強いと聞いたことがある。
本当なら服用させたくなかったが、
医者に「苦しんでいる」と言われたら反対のしようもない。
後は医者に任せるしか無かった。


5月20日
病院から電話があり
看護師:「先生からお話があるので来てください」とのこと。

医者:「急に心臓の働きが弱くなって来ました。
今後の準備をされた方がよいと思われます。」
家内と私で医者に色々と質問をした帰り際
医者:「遠目でよかったら、ちょっとだけ会わせてあげるよ」
と言って医者が病室の入り口まで案内してくれた。

このコロナ騒動のさ中、
急な展開に家内とふたり、病室の入り口で躊躇していると…
医者:「傍に行っていいよ、1分だけね」と言って去って行った。

私:「母さん、わかる? 俺だよ…」
私の言葉に母は反応したが、目はつぶったまま、
言葉を発することはなかった。
これが母との最期の数分だった。

5月24日
14時すぎに病院から電話
看護師:「急変したので、すぐ来てください」
家内とふたり、病院に向かった。
球児とバド美にも「病院に向かうように」連絡。
ふたりとも休みで偶然にも近くに居たので、すぐに駆け付けた。

病院に着いた時、母は既に息を引き取っていた。
ほんの15分ほど前だったという。
私:「母さん、今までありがとう。
          お疲れさま…」
手を握ると・・・まだ温かい・・・
眠っているようにしか見えなかった。

コロナのこともあり、病院内でゆっくりもしていられない。
家内と球児、バド美は家に戻って母の受け入れ準備、
私はひとり病室に残って母の所持品を整理、
手続きを済ませると、葬儀場の担当者と一緒に母を我家に搬送した。

さあ、これからが慌ただしい!
部屋の中の安置場所は準備してあったので、すぐに済んだ。
でも、家内の両親や父の葬儀を出して、ある程度心得があるとはいえ、
コロナ騒動は想定外で初めてのこと。
コロナによる色々な弊害が発生、頭を悩ます場面が多々あった。
葬儀社と話す時も、新聞社と話す時も…
全てに於いて「コロナ対策」がつきまとった。

日程を決める時点から早速問題が・・・
葬儀社:「通夜は明日になさいますか?」
私・家内:「今日、亡くなって明日の通夜ではあまりにも…。
札幌方面から来る姉たちのこともあるし、次に可能な日にして下さい。」

友引の兼ね合いもあり結局、我家で3晩安置することとなった。
家で3晩安置というのが大変な事はわかっていたが、
経験上、気持ちの整理がつかないまま翌日の通夜…
というのは自分の中でも厳しかったので、そう判断した。

コロナの感染者が多い札幌・千歳に住む姉たちが心配して、
姉:「私たち(孫も含め)、遠慮したほうがいいのかな…」
私:「それは無いっしょ、自分たちの親の葬儀だよ。
手洗い・消毒・マスク徹底して三密避けて、万全の態勢でやろうよ^^」


5月27日通夜当日、
3人の姉とその子供たち、孫たち計21名全員が揃い、
また、私たち姉弟のいとこも10名ほど駆けつけてくれた。
ちょっと大変だったけど、3晩空けたことで
それぞれが準備出来て、結果的に良かったのだと思う。

新聞の「おくやみ」欄には
「お通夜当日は、新型コロナウイルス感染予防のため
午後4時より、ご焼香の用意を致しております。」と
昨今の形式に則って掲載された。

前日だっただろうか、北海道のコロナ自粛期間が解除された。
このことで、斎場が少しとまどったのだが考えてくれて、
一般の方が焼香のみ済ませて帰れるような焼香台を設置、
また「お時間の許す方は どうぞご着席ください」と、
訪れてくれた方が選択できるような配慮をしてくれた。


午後4時〜
焼香に来て下さる方が続々と・・・
姉たちも含め、4人で対応に追われた。
私が動けない分は、施主の球児に託した。
このご時世なのに想像以上の焼香客、何とありがたいことだ。
ひとりひとり、ゆっくりお礼を言って話したいのだが
そうもいかないのが、はがゆかった。

午後6時から通夜の儀
親戚や一般の方が思ったより座ってくれたので、
それなりに普段行われる葬儀のような形になった。



親戚(いとこたち)が帰って
通夜振る舞いの後、姉3人と雑談。
4人だけで話すことなんて、今まであっただろうか・・・。
これからの法要のこととか、私が小さい頃の話だとか、
私の知らないことも、たくさん聞くことが出来た。

姪っ子が「初めて見た、レアな対談光景だ^^」とか言って、
私たち姉弟4人が対談しているところの画像を、ラインで送信してくれた。

日が明けて告別式〜
あっという間に時間が過ぎていく。

出棺の時間、皆それぞれが想いを込め棺に花を添えた。
その最後に私は、母の頬に手を当てて「ありがとう」・・・。
「棺の蓋が閉められる時」葬儀の中で私はこの瞬間が一番つらい。
この時初めて涙が頬を伝った。

と、
ひときわ大きな音で鼻をすすって
いつまでも泣きじゃくる声が・・・
見ると、球児だった。
(あっ! 父の葬儀の時と同じだ!
  うん、可愛がってもらったからね・・・^^)

その後、火葬場へ移動。
室蘭市で、今年4月に建設されたばかり、
新築のきれいな火葬場で母はお骨となった。
お骨を拾いながら(いつか私も、こんな風になるんだな・・・)
そんな想いが脳裏を過った。

斎場に戻って還骨法要を終え
ひとこと挨拶をして2日間の葬儀の日程が無事終わった。
札幌・千歳の姉たち家族を見送って、
母の遺骨を持って家に帰った。

帰ってから間もなく葬儀社が、下げて来たアレンジ花のかごを運んで来て、
居間に「後飾り祭壇」を設置、遺骨をその祭壇に安置した。
居間は祭壇を中心にアレンジ花でいっぱいになった。

葬儀社が帰り、最後まで手伝っていた球児も帰り、
私たち夫婦ふたりになった。


私:「終わったね」
家内:「お疲れさまでした」
私:「お疲れ、でもまだ四十九日まで、もうひと頑張りだな」
家内:「そだね・・・」
家内とふたり、脱力感とともに座り込んだ・・・





悲しみに暮れている場合ではない!
翌日から私は母に関する色々な手続きがあり、役所を走り回った。
6月1日からはバド美が職場復帰なので、
孫を我家で預かることになっている。

6月は孫の世話と、7日毎の法要のため、
ある意味壮絶な1か月だった。





7月11日に四十九日法要、納骨が無事終わった。
居間にあった大小さまざまのアレンジ花の籠は、
家内が日を追うごとに縮小していき、
ちょうど四十九日の数日前に、一つの花瓶に収まった。
かなりの量の花だったので、この作業も大変だったと思う。
「疲れた〜、腰痛〜い」と言いながらも、
花を無駄にすることなく約1か月半、生花を最大限に活かした。
その家内の行動を「すごい」と思い、感心した。


数日後・・・
葬儀社が来て「後飾り祭壇」を下げて行った。
そして、
ようやく、普段の生活が戻って来た。




母は
孫7人、ひ孫5人に恵まれた。
5人目のひ孫、バド美の娘は残念ながら、
会って抱っこしてもらうことは叶わなかった。

晩年の母は「幸せ」と思っていたのだろうか?

グループホームから病院に移ると決まった時、
終末期の病院・・・
身体拘束ほか、どんな扱いを受けるかある程度解っていただけに、
入院させることは、私にとって苦渋の決断だった。

母に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
でも、私にはどうすることも出来なかった。

自分で最後まで母の世話をしなかった、私は親不孝者だ。

(母さん、ごめん・・・
  どうか、安らかに・・・)




斎場で「通夜の時にスライドショーを流すので、
思い出の写真を何枚か用意してください」と言われた。
下の写真は、その中の1枚。
父と母が一緒になった昭和23年に撮影されたものだ。
折れ跡や傷だらけだったが、補正ソフトで可能な限り
目立たないように加工してみた。

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実は、以前から「この写真に彩色して母にプレゼントしたい」
と思って準備をしていたのだが、それはかなわなかった。



〜ご挨拶〜
当ブログの他、SNS等でたくさんの温かいメッセージを頂きました。
みなさま、ありがとうございました。


posted by スティーヴィー・よんだー at 17:00| 北海道 ☔| Comment(15) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする